第1回 原点

/

― 私はなぜ、この仕事をしているのか

私の人生を振り返ると、いつもそこには「地元の企業」と「経営者」がいました。
今、私は事業承継・M&A・組織再編などを通じて、中小企業の未来づくりに関わる仕事をしています。
しかし、最初からその道を明確に目指していたわけではありません。

1963年、私は福岡県で生まれました。
高度経済成長の余韻がまだ色濃く残る時代でしたが、地方の現場では、派手さよりも堅実さ、
華やかさよりも地に足のついた努力が尊ばれていたように思います。
私自身も、そうした空気の中で育ちました。

今でこそ「事業承継は成長戦略だ」と言っていますが、その感覚の原点は、やはり大学時代にあると思います。
大学のゼミは当時、ベンチャービジネスの名付け親で中小企業論の権威、中村秀一郎ゼミ。
ベンチャー企業のチャレンジが日本経済を支えている、と教わりました。
先生は、銀行とか大手企業への就職は歓迎されませんでしたが、
私が当時の福岡相互銀行(のちの福岡シティ銀行、現在の西日本シティ銀行)に就職したいと話した時に、
『四島さん(当時の頭取)のところか、ベンチャー育成に頑張っている銀行だ、いいじゃないか。』と、
喜んでくれました。
その一言が、就職の大きな決め手となりました。
中村先生から、卒業時にいただいた、サムエルウルマンの青春から、
“人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる”は、今も私の支えとなっています。

私は、銀行員として28年、そして独立後はコンサルタントとして、多くの経営者と向き合うことになります。
その中で痛感したのは、「会社を残す」ということの重さでした。

会社は、社長一人のものではありません。
社員の人生であり、家族の安心であり、地域の資産でもあります。
だからこそ、その会社をどう次につなぐかという「事業承継」は、単なる手続きではなく、
最も重要な経営判断なのです。

しかし、実際には、多くの経営者がその問題に真正面から向き合えずにいます。
忙しい。まだ早い。誰かが何とかしてくれる。
そうやって先送りされるうちに、会社の未来は少しずつ不確実になっていきます。

私は、そうした現場をたくさん見てきました。
そして、そのたびに思うのです。
「もっと早く、もっと本質的な話ができていれば」と。

この連載では、私が歩んできた道を、できるだけ正直に振り返ってみたいと思います。

野球に明け暮れた少年時代。
中小企業論を学んだ大学時代。
銀行員としての28年。
難病という人生の転機。
そして、51歳での独立起業。

その一つひとつが、今の私の仕事につながっています。
これは単なる自分史ではありません。
私が何を見て、何を感じ、なぜ今この仕事に人生をかけているのか――。
その理由を、30回にわたってお伝えしたいと思います。